夜になりました&今日は5.15事件が起きた日

 2012-05-15
こんばんわ、さっきまでWiiFitでジョギングしてたDBゆーやです。夜になりました。母ちゃんは帰ってきましたが父ちゃんはまだ帰ってきてません。もしかして帰り遅い?

さて、今日は何の日か知ってますか?歴史に詳しい人ならすぐピント来るはず。そう、今から80年前の今日、犬養毅首相が青年将校によって暗殺された事件の日です。その事件を俺は取り上げました。
ちなみに去年も取り上げました(詳しくはこちら
http://ameblo.jp/davidsunrise/entry-10892187087.html)

まずは5.15事件とは何かについて説明

五・一五事件は、1932年(昭和7年)5月15日に起きた大日本帝国海軍の青年将校を中心とする反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入、当時の護憲運動の旗頭ともいえる犬養毅首相を暗殺。犬養毅が暗殺される直前、「話せば分かる」「問答無用、撃て!」のやり取りが有名だが実は最後の言葉ではない(後述)。


次はなぜこの事件を作った原因

当時は1929年(昭和4年)の世界恐慌(別名・暗黒の木曜日)に端を発した大不況、企業倒産が相次ぎ、社会不安が増していた。2年後の1931年には関東軍の一部が満州事変を引き起こしたが、政府はこれを収拾できず、余計引きずられる形となった。犬養政権は金輸出再禁止などの不況対策を行うことを公約に1932年2月の総選挙で大勝をおさめたが、一方で満州事変を黙認、陸軍との関係もむしろ悪くなかった。

だが、1930年(昭和5年)ロンドン海軍軍縮条約を締結した前総理若槻禮次郎に対し不満を持っていた海軍将校は、若槻襲撃の機会を狙っていたが、立憲民政党(通称・民政党)は大敗、若槻内閣は退陣を余儀なくされたため子と泣き終えたと思われたが、計画の中心人物だった藤井斉が「後を頼む」と遺言を残して中国で戦死、この遺言を知った仲間が事件を起こすことになる。本来ならば標的でなかった犬養が暗殺されることになったといえる。ちなみに、有名な俳優、チャールズ・チャップリンも暗殺リストに入っていたらしい。



次はこの事件の経過


1932年5月15日午後5時、計画開始。まずは初代首相官邸。

前述のとおり、当時の首相犬養毅が殺害された直前「話せば分かる」「問答無用、撃て!」のやり取りが有名ですが、実は犬養毅の最期の言葉というわけではありません。


元々、犯人の青年将校らは最初から問答などに時間をとられては殺害に失敗する恐れがあるため、犬養を見つけ次第射殺する計画だった。が、実行時には、表から突入した三上隊が最初に犬養を発見したのまではよかったが、犬養自らに応接室に案内され、そこで犬養の考えやこれからの日本の在り方などを聞かされようとしていた。その後、裏から突入した黒岩隊が応接室を探し当てて黒岩が犬養腹部を銃撃、次いで三上が頭部を銃撃した。それでも犬養はしばらく息があり、すぐに駆け付けた女中のテルに「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と強い口調で語ったと言う。

「話せば分かる」「問答無用」という言葉については、元海軍中尉山岸宏の次の回想があります。

『まあ待て。まあ待て。話せばわかる。話せばわかるじゃないか』と犬養首相は何度も言いましたよ。若い私たちは興奮状態です。『問答いらぬ。撃て。撃て』と言ったんです。



一緒にいた元海軍中尉三上卓は裁判で次のように証言している。

食堂で首相が私を見つめた瞬間、拳銃の引き金を引いた。弾がなくカチリと音がしただけでした。すると首相は両手をあげ『まあ待て。そう無理せんでも話せばわかるだろう』と二、三度繰り返した。それから日本間に行くと『靴ぐらいは脱いだらどうじゃ』と申された。私が『靴の心配は後でもいいではないか。何のために来たかわかるだろう。何か言い残すことはないか』というと何か話そうとされた。その瞬間山岸が『問答いらぬ。撃て。撃て』と叫んだ。黒岩が飛び込んできて一発撃った。私も拳銃を首相の右こめかみにこらし引き金を引いた。するとこめかみに小さな穴があき血が流れるのを目撃した。



ほかに、「騒がんでも話をすれば分かる」と言った後、「話をききにきたのではない。問答無用。撃て撃て」といって暗殺したと証言するものもいました。

海軍将校たちはほかにも内大臣官邸、立憲政友会本部、日本銀行、変電所等にも襲撃していますが、不発に終わっています。そのあと、将校たちは全員警視庁に自首してます。

次は5.15事件後の処理について説明

海軍軍人は海軍刑法の反乱罪の容疑で海軍横須賀鎮守府軍法会議で、陸軍士官学校本科生は陸軍刑法の反乱罪の容疑で陸軍軍法会議で、民間人は爆発物取締罰則違反・刑法の殺人罪・殺人未遂罪の容疑で東京地方裁判所でそれぞれ裁かれた。元陸軍士官候補生の池松武志は陸軍刑法の適用を受けないので、東京地方裁判所で裁判を受けた。

当時の政党政治の腐敗に対する反感から犯人の将校たちに対する助命嘆願運動が巻き起こり、将校たちへの判決は軽いものとなった。このことが二・二六事件の陸軍将校の反乱を後押しとなり、四年後の二・二六事件の反乱将校たちは投降後も量刑について非常に楽観視していたことが二・二六将校の一人磯部浅一の獄中日記によって伺える。

一方、大川周明ら民間人に対する言渡刑は非常に重かった。このことは、二・二六事件でも民間人の北一輝(実は無関係だったという説もある)や西田税が死刑となったことと共通する。詳しくは>俺の2.26事件を語るを参照。


と、こんな風に5.15事件を調べてなおしてみました。因みに、犬養毅以外に暗殺された総理大臣(首相)はほかにも存在しており、伊藤博文や「大正デモクラシー」の一人・原敬も暗殺されてます。
余談ですが、犬養毅を最後に総理大臣がテロによって暗殺されてません。今の日本の政治がしっかりしてるからかもしれません。
でも、今の日本を見て俺は、テロでも何でもいいから日本を強引に変えてくれるだけの軍人とか出てきてほしいのは私だけ?
ドクターブロガー・ユーヤ・エメリヤーエンコのブログ-5.15事件を伝える記事
五・一五事件を伝える大阪朝日新聞(今の朝日新聞)。

ドクターブロガー・ユーヤ・エメリヤーエンコのブログ-初代首相官邸
初代首相官邸。2.26事件でも襲撃されてます。今は新首相官邸に変わっています。

参考資料
5.15事件を歩く
ウィキペディア・5.15事件
>俺の2.26事件を語る
など
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