夜になりました&今日オリンピック入りを果たした法華津寛を調べてみた

 2012-03-05
こんばんわ、暇な夜をすごしてるDBユーヤです。夜になりました。また雨降ってきました。おかげで今日外走れません。仕方ないのでWiiFitします。

話は変わりますが、71歳でロンドンオリンピック出場を決めた法華津寛を俺は調べてみました。

まずは法華津寛とは?

法華津 寛(ほけつ ひろし、1941年3月28日 - )は日本馬術選手、実業家アバロン・ヒルサイドファーム所属。東京都生まれ。

「法華津」姓は、戦国時代伊予国南部で活躍した海賊法華津氏法華津前延など)からきている。寛の祖父は愛媛県北宇和郡吉田町(現在の宇和島市)より上京している。妻は執権・北条時宗の子孫(法華津、不屈の魂はご先祖の海賊譲り - スポーツ報知 2008年3月27日似て)

次は生い立ち

・1941年3月28日、東京都で生まれる。

・馬術を始めたのは12歳の時で学生時代から選手として数々の大会に出場。1964年に開催された東京オリンピックに出場し、障害飛越個人40位、同団体12位。

・東京オリンピック後は日本石油(現在のJXホールディンクス)を退職し、デューク大学大学院へ留学。その後に外資系の製薬会社社員となる(法華津参った…愛馬ウィスパー逆走 - スポーツニッポン 2008年8月15日にて)

馬場馬術に転向、1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックは遂に名実共に「ホケツ」になってしまい、出場できなかった。その後、1986年アジア競技大会では馬場馬術個人、団体ともに2位となった。

1988年に開催されたソウルオリンピックでは出場権を確保したものの愛馬が出国検疫においてウイルス陽性反応を示してソウルへ輸送不可となり、出場断念。

その後株式会社オーソ(現在のオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス株式会社。ジョンソン・エンド・ジョンソンのグループ企業)社長に就任するなど実業家としても活躍していたが、定年退職後にオリンピック再挑戦を決意、2003年から家族を日本に残し単身でドイツアーヘンで馬術修業。

2008年開催の北京オリンピックでは、ウィスパー号とペアを組み、馬場馬術団体、同個人で出場。日本選手としては、ソウルオリンピックに馬場馬術で出場した井上喜久子を上回る史上最高齢(67歳)でオリンピックに出場した。44年ぶりの出場も史上最長記録。また、北京オリンピックに出場した全選手中でも最高齢であった。馬場馬術個人の1次予選(同団体の決勝を兼ねる)では34位で1次予選落ち、団体では9位だった。

2012年3月1日にフランス・ビドーバンでの国際大会で優勝し、翌3月2日に国際馬術連盟が発表したランキングでロンドンオリンピック出場枠を獲得。この結果を受け、日本馬術連盟は3月5日に法華津をオリンピック代表に決定した。オリンピックに出場すれば自身の史上最高齢記録を塗り替える71歳での出場となった(法華津が五輪代表決定 最年長71歳でロンドンへスポーツニッポン2012年3月5日にて)

とこんな風に今日出場決定した法華津寛を調べてみました。子供のときから馬術をしていたとは、しかも定年後にオリンピック再出場をかけて家族残してまで馬術修行するとは、ある意味チャレンジャーといえるかもしれません。そういえば世界最高齢オリンピック出場を持つ馬術ますたーは誰なんだろ?気になります。

Beijing2008 HOKETSU Hiroshi.JPG

2008年北京オリンピック当時の法華津寛

参考資料
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E6%B4%A5%E5%AF%9B#cite_note-1
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